大善寺:山梨県甲州市

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【 概 要 】−大善寺(山梨県甲州市)が何時頃から信仰を始めたのかは判りませんが、奈良時代の名僧として知られた行基菩薩が当地で厳しい修行を重ねたところ、葡萄を持った薬師如来が出現したので、それを象った仏像(薬師如来、国指定重要文化財)を彫刻し御堂を設けて安置し大善寺が創建されたとされます。ただし、境内背後の柏尾山は当地域の祖霊が集まる霊山として信仰されている為、素朴な信仰としては時代が遡り、行基菩薩が彫刻したと伝わる木造薬師如来は学術的には平安時代の制作で、境内から発見された「柏尾山経塚群」は平安時代末期に設けられたものである事から仏教寺院としては平安時代に成立したのかも知れません。又、経塚から発見された経筒の1つから康和5年(1103)の銘のものがあり、それによると山城国乙国郡石上村出身の寂円が3年間法華経8巻を写経し「柏尾山寺往生院」の堯範(比叡山延暦寺の学層)に奉納した事が記載されています。ここで記載されている「柏尾山寺」は大善寺の事とされ、当時は柏尾山寺と呼ばれていたようです。さらに、経塚の造営には三枝宿禰守定同守継が大きく関わっていた事が、天文14年(1545)に編纂された「柏尾山諸堂覚書写」には天禄2年(971)に三枝守国が薬師堂を創建した事が記載されている事から当時の甲斐の豪族だった三枝氏と関係が深い寺院だった事が窺えます。鎌倉時代に入ると源頼朝が寺領を寄進し、その後も将軍も禁制を発布するなど庇護し、南北朝の動乱の兵火で堂宇が焼失すると斯波家長が再興、その後は足利将軍家の祈祷所として寺領が安堵されています。その後は甲斐守護職を歴任した武田家が庇護し堂宇の営繕工事や寺領の寄進などを行なっています。天正10年(1582)に武田家が滅びると、新たな領主となった徳川家康が、家康が関東に移封になると、歴代甲府城主が庇護しています。江戸時代に入ると3代将軍徳川家光が寺領32石6斗の朱印状を発布し歴代将軍も追認しています。大善寺本堂は鎌倉幕府執権北条貞時が再建したもので弘安9年(1286)の刻銘が刻まれている事から建築年代が明確で意匠的にも優れ、極めて貴重な事から国宝に指定されています。大善寺山門は寛政10年(1798年)に再建されたもので、二重楼門建築、甲州市指定文化財に指定されています。
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