恵林寺:山梨県甲州市

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【 概 要 】−恵林寺(山梨県甲州市)は鎌倉時代末期に二階堂貞藤(鎌倉時代後期の御家人)が夢窓疎石を召喚し創建した寺院です。戦国時代には武田信玄が帰依した快川国師が住職を勤め、永禄7年(1564)には信玄の菩提寺として寺領の寄進を受けています。元亀4年(1573)に信玄が京都に上洛する途中、三州街道沿いで死没すると、遺骸又は遺骨が領内に秘匿され天正4年(1576)に改めて恵林寺で葬儀が行われています。天正10年(1582)に武田家が滅亡すると、武田縁の恵林寺の境内にも織田軍が侵攻、三門(楼門)の上に立て篭った快川紹喜は最後に火を放たれ「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」と遺喝を残したと伝えられています。徳川家康が領主になると家康が庇護し、それに従った武田家の旧家臣達は恵林寺の再興を望んだ為に、雲巌寺(栃木県大田原市)に逃れていた僧侶達を呼び戻し境内を整備し再興に尽力しています。宝永元年(1704)に柳沢吉保が甲府藩に入封すると、柳沢家が武田家一族の遠縁にあたるとして篤く庇護し信玄の百三十三回忌の法要や太刀(銘:来国長、伝:信玄縁、国指定重要文化財)の奉納などが行われ、享保9年(1724)、跡を継いだ吉里が大和郡山藩へ移封になった際には吉保の遺骸が恵林寺境内へ改葬され菩提寺となっています。三門(楼門)は桃山時代に造営されたもので入母屋、檜皮葺、一間一戸(脇塀付)、四脚楼門、山梨県指定文化財に指定されています。四脚門は慶長11年(1606)に造営されたもので切妻、桧皮葺、一間一戸、四脚門形式、木部が朱塗りだった事から「赤門」の異名があり国指定重要文化財に指定されています。
甲信越・北陸地方の名刹巡礼 古寺100選
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