今庄宿(北陸道)・宿場町・町並み

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今庄宿(北陸道)
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【今庄宿(北陸道)】−今庄宿(福井県南越前町)は北陸道(北国街道)宿場町で、越後側(福井県)から見ると今庄宿を過ぎると山中峠、木の芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠などの難所が控え、当時としては大都市だった福井城下(福井県福井市)から丁度1日の行程だった事から、多くの旅人や商人が利用し北陸道(北国街道)の宿場町単独としては最大規模の町となりました。今庄宿は上町・観音町・仲町・古町・新町の5町で構成され全長約1キロ、本陣や脇本陣(2軒)をはじめ、問屋(3軒:右衛門佐・平塚屋・大野屋・谷屋 ※嘉永4年1851年に右衛門佐から平塚屋に問屋職が移っています。)や旅籠(55軒)、御茶屋馬場(福井藩の出先機関、馬は24匹が常備)、高札場(旧西尾茂左衛門家)などが設置されていました。江戸時代中期以降は伊勢詣でなど人の往来が急激に増加し、それに伴い物流も活発となった為、今庄宿も活況を呈しました。特に北陸道(北国街道)は北陸諸侯の参勤交代の経路だった為、多くの大名が今庄宿を利用し中町に設置された本陣は福井藩松平家や加賀藩前田家などが利用しました。本陣は代々後藤覚左衛門家(43ヶ村の大庄屋、十石扶持、準藩士格、福井藩、丸岡藩、鯖江藩の人馬の取り仕切りを統括)が歴任し敷地間口約10間、奥行き37間、建坪100坪、部屋数20余室、表門、式台付玄関、上段の間を供える壮大な建物で、明治11年(1878)の明治天皇巡幸の際には行在所として利用されています。現在、本陣の建物は失われていましたが町並みは良好で伝統ある町屋建築が数多く残されています。特に京藤甚五郎家住宅は江戸時代後期に建てられたもので木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、塗屋造り、虫子窓、本ウダツ付、幕末には水戸天狗党が利用した歴史ある建物で福井県指定文化財に指定されています。若狭屋は江戸時代の旅籠として建てられた建物で木造2階建、切妻、鉄板葺、平入、袖ウダツ付、国登録有形文化財に登録されています。又、律令制下で制定された「鹿蒜駅」が設置されていた事から歴史的も深く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている新羅神社などの古社も点在しています。
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