板取宿(北陸道)・宿場町・茅葺集落

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写  真 備  考
板取宿(北陸道)
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【北陸道】−北陸道は律令制下で整備された官道で、北国街道とも呼ばれました。日本海側と政治的な中心だった奈良や京都を結ぶ主要街道で、特に敦賀湊は当時の国際港として大陸からの船や大使を受け入れていた為に重要視されました。戦国時代に入ると柴田勝家が居城である北之庄城(福井県福井市)と主家である織田信長の居城、安土城(滋賀県近江八幡市安土町)を結ぶ街道として再整備されました。江戸時代に入ると、北陸地方を領する藩の参勤交代の経路となり各宿場町には本陣や脇本陣が設けられ賑いました。

【板取宿】板取宿北陸道(北国街道)宿場町として整備された町です。往時は近江国(現在の滋賀県)と越前国(現在の福井県)の国境付近に位置し、板取宿の直前に栃ノ木峠からの経路(北国街道)と木ノ芽峠からの経路(近江西路)が合流し宿場内に入る構成でした。江戸時代は福井藩(福井県福井市)と彦根藩(滋賀県彦根市)との藩境でもあった為重要視され、福井藩では板取番所(間口3間、奥行3間半、平屋建)を設置して人や荷物が出入りを管理監督、税の取立てなどを行いました。江戸時代の後期の板取宿には50戸前後の家屋が軒を連ねていましたが、現在は衰微し僅か数棟の建物(2軒が木造2階建、入母屋、茅葺、妻入、2軒が正面妻面の屋根を欠き込んだ兜造り)を残すのみとなりました。しかし、残った建物の多くが茅葺屋根である為、郷愁の漂う景観が造りだされ人知れずの観光地となりました。板取宿は茅葺屋根の古民家の他、石畳や木戸が復元され北陸道の宿場町の様子、町並みを現在に伝えています。

【木ノ芽峠】−木ノ芽峠(標高:628m)は古代の大和朝廷の勢力圏内と越国圏内を分ける境だったとされ天長7年(830)に上毛野陸奥公が官道である北陸道と共に鹿蒜嶮道(木ノ芽峠)が開削されました。山頂付近に設けられた前川茶屋は羽柴秀吉が木ノ芽峠を利用した際、釜を拝領して以来茶屋を経営に携わったという旧家で、現在でも茅葺の古民家が維持されています。又、古くから戦略的拠点だった事から周辺には木の芽城や鉢伏城が築かれていました。板取宿と木ノ芽峠は日本の秘境100選に選定されています。

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