歴史が感じられる宿場町の町並みを旅する

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楢下宿・町並み
□−楢下宿−山形県上山市楢下

楢下宿は羽州街道の宿場町で、背後に難所である金山峠を控えていた事から多くの人が利用しました。特に、出羽国を領した大名13家が参勤交代で羽州街道を経路とした為、多くの大名が楢下宿を宿泊所としました。現在でも脇本陣格の滝沢屋をはじめ、庄内藩の定宿だった庄内屋などの古建築が点在しています。楢下宿は国指定史跡に指定されています。
下戸沢宿・町並み
□−下戸沢宿−宮城県白石市戸沢

下戸沢宿は出羽国、陸奥国の津軽地方の諸大名13藩が参勤交代で利用した羽州街道の1区間である七ヶ宿街道の宿場町として整備された町です。隣接する上戸沢宿は仙台藩と他領との藩境だった為、下戸沢宿には防衛力を補間する為に足軽が30〜40人配されました。明治以降は衰退しました、茅葺屋根の古民家が数軒残されています。
大内宿・町並み
□−大内宿−福島県南会津郡下郷町大内

大内宿は会津西街道(下野街道)の宿場町として整備された町で、江戸時代初期には会津藩の藩主が参勤交代で通過した際には大内宿本陣が昼食場所として利用されていました。現在も街道の両側には寄棟、茅葺屋根の古民家が整然と軒を連ねています。大内宿国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、国指定史跡に指定されています。
奈良井宿・町並み
□−奈良井宿−長野県塩尻市奈良井

奈良井宿は中山道の宿場町で、特に中山道のこの区間は木曽谷に位置する事から木曽路とも呼ばれています。奈良井宿の背後には難所である鳥居峠が阻んでいる事から、多くの旅人や商人達が利用しました。又、特産物の木曽檜などの木材を利用した漆器などの生産が盛んで最盛期には「奈良井千軒」との異名があり、木曽路最大の宿場町として発展しました。
妻籠宿・町並み
□−妻籠宿−長野県木曽郡南木曽町吾妻

妻籠宿は中山道(木曽路)の宿場町で、三州街道の宿場町で飯田藩の藩都である飯田城下(長野県飯田市)とを結ぶ大平街道の交差する交通の要衝でもありました。現在でも良好な町並みが残され、特に妻籠宿の脇本陣と問屋も歴任した奥谷家住宅は明治10年の意匠的にも優れた建物で国指定重要文化財に指定されています。重要伝統的建造物群保存地区。
海野宿・町並み
□−海野宿−長野県東御市本海野

海野宿は北国街道の宿場町で、当初は隣接する田中宿の枝宿でしたが、寛保2年(1742)の大洪水で田中宿が大きな被害を受けた事に伴い、本宿(海野宿)に格上げされました。海野宿は江戸時代後期から養蚕の生産が盛んになり、現在に見られる塗屋造り、ウダツ、出桁造りの町屋建築が軒を連ねる良好な町並みが形成されました。重要伝統的建造物群保存地区。日本の道100選。
稲荷山宿・町並み
□−稲荷山宿−長野県千曲市稲荷山

稲荷山宿は善光寺西街道の宿場町であると同時に谷街道、八幡宮道が分岐する交通の要衝でもあった為、江戸時代中期以降、人々の往来は物資の流通が盛んなると、急速に発展し北部信州をフ代表する商家町に発展しました。明治時代以降も繭や生糸の集散場、金融業などで発展し、現在も良好な町並みを残しています。重要伝統的建造物群保存地区。
板取宿・景観
□−板取宿−福井県南条郡南越前町板取

板取宿は元々は北陸道(北国街道)の宿場町で、越前国(福井県)と近江国(滋賀県)の国境に接していた為に重要視され、江戸時代には福井藩の番所(関所)が置かれ、人や荷物の出入りを厳重に管理されていました。往時は50戸前後の家屋があったとされますが、現在は茅葺屋根の古民家が数棟残るのみとなっています。
今庄宿・町並み
□−今庄宿−福井県南条郡南越前町今庄

今庄宿は北陸道(北国街道)の宿場町で山中峠、木の芽峠、栃ノ木峠などの難所が控えていた事から多くの旅人や商人達が利用しました。江戸時代には福井藩主松平家が参勤交代の際に宿泊として利用し、本陣や脇本陣が設けられています。江戸末期には水戸天狗党による歴史の舞台にもなっています。現在でも宿場町らしい町並みが残されています。
熊川宿・町並み
□−熊川宿−福井県三方上中郡若狭町熊川

熊川宿は若狭街道(鯖街道)の宿場町として整備されました。若狭街道は日本海の海産物を京都に運ぶ街道で、熊川宿は舟運の最終川湊町でもあった為、多くの物資が熊川宿に集まり小浜藩の代官所や御蔵が設けられ、若狭国と近江国との国境を控えていた事から、小浜藩の番所が設置され人や荷物の出入りが管理されていました。重要伝統的建造物群保存地区。
足助宿・町並み
□−足助宿−愛知県豊田市足助町

足助宿は三州街道の宿場町であると同時に「ほうらいじ道」、「七里街道(足助街道)」が分岐する交通の要衝、領主である本多家の足助陣屋による行政の中心として発展しました。特に三州街道は脇街道として管理が緩かった事から中馬と呼ばれる運送制度が発展し、足助宿はその中継地として大きな発展を遂げました。重要伝統的建造物群保存地区。
有松宿・町並み
□−有松宿−愛知県名古屋市緑区有松

有松宿は東海道の間宿で、正式な宿場町ではありませんでしたが、鳴海宿と知立宿が距離があり、利用者の利便性が考慮され町割されました。特産である有松絞り(国の伝統工芸品)が飛躍的に発展した為、全国的な知名度がありました。現在も間口の広い大型の町屋建築が軒を連ね良好な町並みが残されています。名古屋市有松町並み保存地区。
関宿・町並み
□−関宿−三重県亀山市関町

関宿は東海道の宿場町で、古くは古代三関に数えられた鈴鹿関が置かれた交通の要衝でした。江戸時代に入ると東海道が開削され、西の追分からは大和街道、東の追分からは伊勢別街道が分岐していた為、多くの人々が関宿を利用しました。又、関地蔵院の門前町でもあり室町時代には名僧として知られる一休宗純も訪れています。重要伝統的建造物群保存地区。
木之本宿・町並み
□−木之本宿−滋賀県長浜市木之本町

木之本宿北国街道(北陸道)の宿場町で、中山道の関ヶ原宿とを結ぶ北国脇往還が分岐していた為、北陸地方の諸藩で参勤交代の経路していた大名が利用し大いに賑いました。古くから牛馬市が盛んな所だった事から戦国時代には山内一豊の妻が馬を求めたと伝えられています。木之本地蔵院の門前町でもあり、現在も雰囲気のある町並みが残されています。
 
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