贄川宿: 深澤家住宅

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贄川宿・深澤家住宅
【 深澤家住宅 】−深澤家は屋号「加納屋」を掲げた商家で、江戸時代後期には江戸や大坂まで販路を広げ、贄川宿を代表する豪商となりました。贄川宿の町並みは改変が進んでしまいましたが、深澤家住宅は主屋の他、敷地内には北蔵(文庫蔵)と南蔵(新蔵)が残され、当時の豪商の生活の一端を見る事が出来ます。又、建築当時の作成された家相図と地理家相建物之断書が残されている事から建築年代が明確で、当時の間取りなどの様子が判る資料として貴重なものとされます。

【 所在地 】−長野県塩尻市贄川

【 建築年 】−江戸時代末期:嘉永7年(1854)

【 構  造 】−木造つし2階建、切妻、平入、桁行5間5尺、梁間9間半、出桁造

【 備  考 】−主屋・北蔵(文庫蔵)・南蔵(新蔵):国指定重要文化財

【 木曽路 】木曽路とは中山道の一区間の名称で木曽谷に位置した馬籠宿妻籠宿、三留野宿、野尻宿、須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿、薮原宿、奈良井宿、贄川宿の11宿を指します。古代の東山道は、中山道の落合宿から神坂峠を経て三州街道の駒場宿付近に至る道筋だった為、木曽路は主要街道からは外れていた存在でした。室町時代に木曽義仲の後裔を自称する木曽氏が木曽谷に進出すると次第に領内の整備を行い木曽路の原型が形成されていきました。宿場町の多くは木曽氏の支城(本城は初期が須原城、後期が福島城)、又は家臣の居城の城下町で、武田家支配の時代に本格的な街道整備が行われ、伝馬制度が確立しています。江戸時代に入ると幕府による街道筋が開削され、各宿場町も随時整備町割りし、福島宿に関所、贄川宿と妻籠宿には口留番所が設置されました。又、道筋は風光明媚としても知られ「木曽の棧」や「寝覚の床」、「小野の滝」は多くの文学作品の舞台となっています。

【 贄川宿 】−贄川宿は塩尻方面から見ると、木曽谷の入り口あたる地形的な重要性から古くから関所が設けられてきました。江戸時代に入ると木曽谷一円は尾張藩領に組み込まれた為、尾張藩(愛知県名古屋市)と松本藩(長野県松本市)の藩堺に位置した事から、福島関所の副関となる口留番所が設置されています。特に木曽谷は良質な木材の産地で尾張藩の財政に大きく寄与していた事から、その出入りの管理は徹底されました。町並みよりやや離れた山沿いには、鎮守である麻衣迺神社や菩提所である観音寺が境内を構え当時の名残を見せています。

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