奈良井宿: 旧中村家住宅

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奈良井宿・旧中村家住宅
【 旧中村家住宅 】−中村家は木曽地方の伝統的工芸品として知られる塗櫛を開発したとされる中村恵吉家の分家にあたる一族で、代々奈良井宿で櫛問屋を手掛けていました。奈良井宿にある一般的な町屋建築である為、住民達からはその価値が判らずにいましたが、昭和44年(1969)に日本民家園に移築される計画が持ち上がると、その価値が再認識されるようになり、さらに町並み保存の機運が高まりました。奈良井宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると中村家住宅もその構成要素の1つに選定されています。

【 所在地 】−長野県塩尻市奈良井

【 建築年 】−江戸時代後期:天保年間(1830〜1843年)

【 構  造 】−木造2階建、切妻、平入、鉄板葺、桁行3間2尺、梁間9間半、延面積160u、出桁造

【 備  考 】−塩尻市指定有形文化財・資料館

【 木曽路 】木曽路とは中山道の一区間の名称で木曽谷に位置した馬籠宿妻籠宿、三留野宿、野尻宿、須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿、薮原宿、奈良井宿贄川宿の11宿を指します。古代の東山道は、中山道の落合宿から神坂峠を経て三州街道の駒場宿付近に至る道筋だった為、木曽路は主要街道からは外れていた存在でした。室町時代に木曽義仲の後裔を自称する木曽氏が木曽谷に進出すると次第に領内の整備を行い木曽路の原型が形成されていきました。宿場町の多くは木曽氏の支城(本城は初期が須原城、後期が福島城)、又は家臣の居城の城下町で、武田家支配の時代に本格的な街道整備が行われ、伝馬制度が確立しています。江戸時代に入ると幕府による街道筋が開削され、各宿場町も随時整備町割りし、福島宿に関所、贄川宿妻籠宿には口留番所が設置されました。又、道筋は風光明媚としても知られ「木曽の棧」や「寝覚の床」、「小野の滝」は多くの文学作品の舞台となっています。

【 奈良井宿 】−奈良井宿は背後に難所である鳥居峠を控えていた事から、室町時代後期の天文2年(1533)に当時の木曽家当主、木曽義在が宿場町として指定したとされ、当時から交通の要衝で重要視されていた事が伺えます。実際、鳥居峠が木曽氏にとって最終防衛線と考えられていたようで、武田氏とはこの峠を堺にして激しい戦いが行われています。奈良井宿はその前線として木曽氏の家臣又は一族と思われます奈良井氏が館を設けて城下町として整備を行っています。江戸時代に入り幕府による中山道が開削されると宿場町に指定され、宿場内には本陣、脇本陣、問屋などの施設が設置されています。奈良井宿には旅籠が少なかったものの、木曽産の木材を利用した職人集団が住み着いた為、木曽路11宿の中で最大の宿場町となり「奈良井千軒」とも呼ばれ繁栄しました。現在でも奈良井宿には伝統的な町屋建築手塚家住宅国指定重要文化財、原家住宅:塩尻市指定有形文化財、中村家住宅:塩尻市指定有形文化財など)が軒を連ねる良好な町並みが残されている事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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