望月宿(中山道・宿場町)

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望月宿:脇本陣(鷹野家)望月宿:脇本陣(鷹野家)
・現在の主屋は江戸時代後期の1819年の火災で焼失後に再建されたもので、木造2階建(2階部は大正時代に養蚕施設として増築)、切妻、平入、内部には身分が高い人物が利用した上段の間が設えています。

真山家住宅真山家住宅
・真山家は屋号「大和屋」を掲げ、望月宿の問屋や旅籠を歴任した家柄です。現在の主屋は明和2年(1765)の火災で焼失後に再建されたもので、木造2階建、切妻、平入、出桁造、国指定重要文化財に指定されています。

大伴神社大伴神社
・長く当地を支配した望月氏の祖神である天忍日命を祭る神社で、御牧七郷の総社、望月牧鎮守社、佐久三社として信仰されました。格式が高く、三代実録では従五位上、延喜式神名帳では式内社として記載されました。

城光院城光院
・城光院は長く当地を支配した望月氏の菩提寺で、室町時代の文明7年(1475)に南浦宗清和尚により創建されました。境内には古い石造物が多く、中でも石造庚申塔、石造十王像、石造宝篋院塔は佐久市指定有形文化財。
望月宿
望月宿
【望月宿・概要】−鎌倉時代から戦国時代にかけては望月氏の居城、望月城の城下町として発展した町で、天正10年(1582)に徳川方の依田信蕃の侵攻により望月城が落城し、望月氏が没落すると荒廃しましたが、慶長5年(1600)に幕府の命により大森久左衛門吉国が町割りの整備を行い、慶長7年(1602)に宿場町として成立しています。本陣、庄屋、問屋は望月宿の開宿に尽力した大森家が歴任し、脇本陣と問屋は鷹野家が、問屋兼旅籠は真山家(屋号:大和屋)が担いました。寛永6年(1629)に鹿曲川の対岸に新町が形成されたものの、洪水が頻発し、特に寛保2年(1742)に「戌の満水」と呼ばれた大洪水により新町が壊滅的な被害を受け、結局、本町に隣接するように移転が余儀なくされます。江戸時代後期の寛政12年(1800)には家屋142軒、592人で構成されていましたが天保14年(1843)には82軒、360人と大幅に減少し衰退していた事が窺えます。
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