布引観音(長野県小諸市)

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観音堂・宮殿観音堂・宮殿
・布引観音堂は享保8年(1723)の火災で焼失後、江戸時代後期に小諸藩7代藩主牧野康明により再建されたもので、懸造、入母屋、銅板葺、木部朱塗り、桁行5間、梁間5.5間、外壁板張り、高欄付内部に設置されている宮殿は鎌倉時代の正嘉2年(1258)に造営されたもので、厨子建築、単層入母屋、板葺、桁行1間、梁間1間、梅鉢懸魚、昭和24年(1949)に国指定重要文化財に指定されています。

白山社白山社
・白山社は布引観音(釈尊寺)の鎮守社で、室町時代初期に造営されたものと推定されています。構造は一間社入母屋造り(春日造)、妻入(正面木製鬼面)、こけら葺、正面1間向拝付、昭和34年(1964)に長野県県宝に指定。

仁王門仁王門
・仁王門は布引観音(釈尊寺)の正門で三間一戸、入母屋、八脚単層門、左右に仁王像が安置されています。往時は仁王門から布引観音堂に参拝に行けましたが、参道が荒廃した為、現在は本堂を経由する参道が整備されています。

愛染明王堂愛染明王堂
・愛染明王堂は布引観音堂に続く参道沿いの岩窟に建てられた建物で、桁行2間、外壁板張り木部朱塗、内部には愛染明王が安置されています。

護摩堂護摩堂
・護摩堂は布引観音堂に続く参道沿いに建てられた建物で、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、妻入、桁行3間、正面左右に花頭窓付、外壁素木板張り、護摩供養が行われていたと思われます。
布引観音
布引観音
【布引観音・概要】布引観音(長野県小諸市)は奈良時代に聖武天皇(第45代天皇・在位:神亀元年:724年〜天平勝宝元年:749年)の勅願で行基菩薩が一宇を造営し創建されました。本尊である聖観世音菩薩像は聖徳太子(用明天皇の第2皇子、推古天皇の摂政、聖徳太子自身は存在せず、実在する厩戸皇子を祖型として様々な実績が付加されたと推定されています。)が彫刻したと伝えられるもので、布引観音の境内には太子堂が建立され太子像が安置され信仰の対象となっています。布引観音には信濃4大伝説の1つ「牛に引かれて善光寺参り」が伝えられ(当地に住んでいた信心の無い老婆が白い布を洗濯した際、その布を牛に奪われ、追いかけました。やっと追い着いたと思ったら牛の姿が消え、気が付くと善光寺の境内でした。日が暮れた事から善光寺の本堂の軒下で一夜を過ごすと、夢の中で善光寺如来が出現し、老婆に仏の教えを諭しました。目が覚めると老婆は改心し仏教に篤く帰依するようになったそうです)、善光寺(長野県長野市)との関係の深さが窺えます。平安時代末期には西行法師も布引観音で修行を重ねたとの伝承もあり、古くから広く知られた存在だったと思われます。戦国時代には兵火により大きな被害を受けましたが、領主である滋野左衛門佐により再建が行われ、江戸時代には歴代小諸藩主の庇護され寺運も隆盛しています。又、布引観音は急峻な崖地に境内を構えている事から景観的にも素晴らしく、文学作品の題材にもなっています。
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