耕雲寺の歴史的建築物

  町並みと建物と伝統と文化(ホーム)新潟県>耕雲寺
山門(楼門)山門(楼門)
・山門は江戸時代中期である元禄15年(1702)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、元々は一間一戸、四脚鐘楼門を改修し、下層部に仁王像を安置出来るように増築し三間一戸風になっています。村上市指定有形文化財。
本堂本堂
・本堂は明治19年(1886)の火事で焼失した後に再建された建物で、木造平屋建、入母屋、銅板葺、平入、桁行8間、正面1間向拝付、外壁は真壁造(腰壁は下見板張、縦押縁押え)、白漆喰仕上げ、正面花頭窓付。
開山堂開山堂
・開山堂は明治19年(1886)の火事で焼失した後に再建された建物で、木造平屋建、宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、正面花頭窓付、開山者である傑堂能勝禅師が祭られていると思われます。
白熊野神社
・熊野神社は室町時代中期の応永20年(1413)に勧請され神社で、耕雲寺の鎮守社、門前集落の産土神として信仰されていました。拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付き。本殿は一間社神明造、桟瓦葺。
耕雲寺
耕雲寺
【耕雲寺・概要】−霊樹山耕雲寺(新潟県村上市)は室町時代の応永元年(1394)に当地の領主である本庄顕長が傑堂能勝禅師を招いて開いた曹洞宗の名刹です。傑堂能勝禅師は南北朝時代に南朝の有力武将である楠木正成の3男楠木正儀の子供とされ、早くから出家して滝沢寺(福井県)の梅山聞本禅師の下で厳しい修行を行いました。その為、傑堂能勝禅師は耕雲寺を開創したものの、開山第一世は梅山聞本禅師とし、自分は2世に定めています。その後も雲洞庵(新潟県南魚沼市)を中興開山した顕窓慶字や種月寺(新潟県新潟市)を創建した南英謙宗、宝積寺(新潟県新発田市)を創建した徳嶽宗欽、香伝寺と普済寺を創建した固剛宗厳、千眼寺(村上市)を創建した大仲玄甫、長楽寺を創建した三心宗伊などの名僧を輩出し、越後国の曹洞宗寺院の中心的な役割を持ちました。耕雲寺では周辺国人領主の葬礼儀式を行っていた事から菩提寺的な役割を持ち多くの寺領が寄進されています。修行道場としても名を馳せ雲洞庵、種月寺、慈光寺と共に越後四ケ道場の一つに数えられました。江戸時代に入ると村上藩から寺領150石が安堵され格式10万石同等が認定されています。明治19年(1886)12月16日の火災により鐘楼門以外の建物は焼失しましたが、その後再建を果たしています。
新潟県の町並みと建物と伝統と文化乙宝寺五智国分寺弥彦神社菅谷不動尊千眼寺(保呂羽堂)耕雲寺種月寺雲洞庵慈光寺
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。「町並みと建物と伝統と文化」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいていますが、私論推論が多く、情報や画像は時間の経緯によって変化している可能がありますので参考程度のものなので、不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。リンクは自由ですが、文章や画像のコピーは禁止しています。