乙宝寺の歴史的建築物

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乙宝寺・三重塔三重塔
・乙宝寺三重塔は当寺の村上城の城主、村上忠勝により寄進されたもので、元和6年に竣工、棟梁は京都出身の小島近江守藤原吉正が手掛けています。三間塔婆、宝形屋根、こけら葺、高さ24.2m。国指定重要文化財。

乙宝寺・弁天堂弁天堂
・乙宝寺弁天堂は寛文8年に造営された建物で、乙宝寺の参道の向かって右側に位置し、池の中の島の中に建立されています。寄棟、茅葺、平入、桁行3間、梁間2間、内部には弁財天が安置されています。新潟県指定重要文化財。

乙宝寺・楼門楼門
・乙宝寺山門は延享2年に修築された乙宝寺の正門で、入母屋、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸、八脚楼門、木部朱塗り、上層部には花頭窓、高欄付、下層部には仁王像が安置されています。金堂の古材が利用されています。

乙宝寺・六角堂六角堂
・乙宝寺六角堂は江戸時代中期の延亨年間に造営された建物で、銅板葺、平面六角形、外壁は朱塗り、花頭窓付。仏舎利塔(五重塔)の跡地に建立された事から心礎(胎内市指定有形文化財)が残されています。

乙宝寺・観音堂観音堂
・観音堂は宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、木部朱塗、内部には本尊として如意輪観世音菩薩を安置されています。越後三十三観音霊場第26番札所。御詠歌:唐土の 人も訪ねし 乙寺 今に絶えせぬ 法の灯。

乙宝寺・鐘楼鐘楼
・乙宝寺はの鐘楼は入母屋、桟瓦葺、平入、上層部木部朱塗り、下層袴腰部(下見板張り、縦押縁押え)は黒塗り。上層部には高欄付、意匠的な組物。
乙宝寺
乙宝寺【乙宝寺・概要】乙宝寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により、当寺の高僧として知られた行基菩薩と印度出身の婆羅門僧正により創建されたと伝わる寺院です。平安時代には弘法大師空海が訪れたとされ、空海縁の独鈷水があります。その後は領主である城氏や黒川氏、中条氏、上杉氏から帰依されされています。江戸時代に入ると村上藩主村上氏が篤く庇護し三重塔が寄進され、松尾芭蕉も奥の細道の際、当寺を訪れ、境内には句碑が建立されています。昭和12年(1937)の火災により行基菩薩が彫刻したと伝わる大日如来像、阿弥陀如来像、薬師如来像が焼失しましたが、紙本著色乙宝寺縁起絵巻(谷文晁作、文化7年に米沢藩主上杉鷹山寄進、新潟県指定重要文化財)や金銅製華鬘(大永2年制作、新潟県指定重要文化財)、乙山大日堂建立地固之真景図、大般若波羅蜜多経、越後国乙宝寺猿物語絵図など多数の寺宝を所有しています。
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