菅谷不動尊の歴史的建築物

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楼門楼門
・山門は江戸時代末期に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門、素木仕上、上層部には花頭窓、高欄付、下層部には仁王像が安置され精緻な彫刻が施されています。新発田市指定文化財に指定されています。

本堂本堂
・本堂は江戸時代中期に4代目板垣伊兵衛が棟梁として造営されたもので、木造平屋建、入母屋、銅板葺、桁行5間、梁間5間、正面向拝3間軒唐破風付、当時の御堂建築の遺構として貴重な存在です。新発田市指定文化財。

<開山堂開山堂
・菅谷不動尊は文治元年(1185)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝の叔父である護念上人が比叡山無動寺から不動明王を勧請し創建しました。この由来により開山堂では護念上人が祭らています。宝形造、桟瓦葺。

弁天堂弁天堂
・元々境内にあった弁天池に建立されていましたが明治時代に現在地である「みたらしの滝」のに移築され、平成元年に再建されました。内部には七福神の一つ弁財天が祭られています。宝形造、銅板葺、一間堂。

薬師堂薬師堂
・本尊である薬師如来は菅谷不動尊の中興の祖と云われる観山和尚が寛永3年に米山薬師から勧請したと伝わるもので、当初は薬師山に祭られていましたが、平成元年に現在地に移されました。宝形造、桟瓦葺、正面1間向拝付。

白日吉神社
・日吉神社は菅谷不動尊の鎮守社で、文治2年(1186)に祝部成時によって勧請されたのが始まりとされます。社殿は切妻、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付き。境内には山王鳥居が建立されてます。

白地蔵堂
・切妻、銅板葺、妻入の小堂で、内部には元文5年(1740)と享和4年(1804)に奉納された2躯の石造地蔵尊像が安置されています。
菅谷不動尊
菅谷不動尊【菅谷不動尊・概要】−菅谷不動尊(新潟県新発田市)は鎌倉時代初頭の文治元年(1185)に護念慈応上人が比叡山無動寺(滋賀県大津市:近畿三十六不動尊26番札所、千日回峰行の拠点)からインド出身のビシュカツマが制作し日本天台宗の開祖である最澄大師が日本に持ち帰ったと伝わる不動明王を勧請し創建しました。又、一説には平安時代に嵯峨天皇の勅命により一本の欅の霊木から弘法大師空海が一刀三礼で3躯の不動明王像を彫刻し、1躯を成田不動尊(千葉県成田市)、1躯を米子瀧山不動寺(長野県須坂市)、1躯を菅谷不動尊(新潟県新発田市)に安置した事から日本三大不動尊の一つとも云われています(この伝承から弘法大師越後二十一ヶ所霊場第10番札所に選定されています)。菅谷不動尊は源氏縁の寺院として鎌倉幕府初代将軍源頼朝、3代将軍源実朝が篤く帰依し寺領の寄進や堂宇の造営が行われています。その後、火災により本堂が焼失した際、タニシが本尊を火から守った事から、タニシが不動明王の使者として信仰の対象となっています。古くから神仏習合に境内最奥地には天台宗の守護神である日吉神社(滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社の分霊が勧請されたと思われます。)が鎮座しています。その後も信仰が広がり、現在でも数多くの信者が参拝に訪れています。
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