種月寺の歴史的建築物

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山門山門
・山門は明治10年(1877)に再建されたもので、切妻、桟瓦葺、一間一戸、高麗門のような控壁(銅板葺き)が正面と背面の両側に設ける珍しい形式。寺門として薩摩藩島津家と同じ「丸に十の字」が掲げています。
回廊門回廊門
・回廊門は江戸時代後期の安政4年(1857)に造営されたもので、切妻、桟瓦葺、一間一戸、左右に回廊が接続しています。曹洞宗の伝統的な伽藍配置に近い形式を採用しています。
回廊回廊
・回廊は回廊門と同時期の江戸時代後期の安政4年(1857)に造営されたもので、切妻、桟瓦葺、両下造、向かって右側の外壁は上部が吹き放し、腰壁は縦板張、向かって左側の外壁は白漆喰仕上げ、腰壁はは縦板張。
庫裏庫裏
・庫裏は木造平屋建、桟瓦葺(一部鉄板葺)、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ(一部下見板張り縦押縁押え)、腰壁は縦板張り、向かって左側で本堂、向かって右側で回廊に接続しています。
本堂本堂
・本堂は江戸時代中期の元禄12年(1699)に造営されたもので、寄棟、茅葺、平入、桁行24.0m、梁間18.8m、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、正面上部に花頭窓付、国指定重要文化財に指定されています。
種月寺
種月寺
【種月寺・概要】−福地山種月寺(新潟県新潟市)は室町時代の文安3年(1446)に当寺の越後国の曹洞宗信仰の中心的な存在だった耕雲寺(新潟県村上市)の高僧南英謙宗が越後国守護職である上杉房朝に招かれ岩室村石瀬に創建した曹洞宗の寺院です。上杉家の庇護により境内には七堂伽藍が整備され、その後は多くの修行僧が集まり、一大修行道場として発展しました。最盛期には末寺24ヵ寺を擁し本山総持寺(当時は石川県輪島市の総持寺祖院)の輪番制住持職の格式を持ち、耕雲寺、雲洞庵(新潟県南魚沼市)、慈光寺(新潟県五泉市)と共に越後曹洞宗の四大道場の一つに数えられました。又、境内背後に築城された天神山城の城主小国氏によって庇護され、室町時代の文明17年(1485)には小国重頼が「首楞厳義疏註経」を寄進しています。小国氏は源頼政の弟である源頼行の孫とされる源頼連が越後国刈羽郡小国保(新潟県長岡市小国町)の地頭として赴任し、地名に因み小国姓を名乗りました。南北朝時代に天神山城に進出しましたが、戦国時代に直系が絶え、直江兼続の弟、樋口与七を養子として名跡を継がせています。種月寺本堂は出雲崎出身の名工小黒甚七が手掛けた建物で(文化10年:1813年、開山堂増築)、江戸時代中期の曹洞宗本堂建築の遺構として貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。 種月寺・参道
新潟県の町並みと建物と伝統と文化乙宝寺五智国分寺弥彦神社菅谷不動尊千眼寺(保呂羽堂)耕雲寺種月寺雲洞庵慈光寺
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