雲洞庵の歴史的建築物

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赤門赤門
・赤門は切妻、銅板葺、一間一戸、四脚門(両側に仁王像が安置出来る堂を敷設している為に三間一戸風)、木部朱塗り。往時は皇室や貴族、大名が利用する場合と大般若会の際のみに開かれ「開かずの門」と呼ばれた。

本堂本堂
・本堂は江戸時代中期の宝永4年に再建されたもので、木造平屋建、入母屋、銅板葺、平入、桁行14間、梁間10間半、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、花頭窓付、棟梁は新潟県出雲崎出身の小黒甚内。国指定重要文化財。

開山堂開山堂
・開山堂は木造平屋建て、切妻、妻入、銅板葺、外壁は縦板張。内部には雲洞庵の開基となった上杉憲実の木像と位牌、開山した顕窓慶字大和尚、中興開山した傑堂能勝大和尚の木像と位牌などが安置されています。

観音堂観音堂
・観音堂は本堂から向かって左側に位置し、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺、平入、正面1間唐破風向拝付き、回廊で座禅堂と書院と接続しています。内部には千手観世音と百体観音が安置されています。

客殿客殿
・書院は木造2階建て、入母屋、鉄板葺き、平入、外壁は横板張、玄関屋根はむくり付き。外壁側は廊下を配し開口部が多い解放的な建物です。

鐘楼鐘楼
・鐘楼は元禄4年(1691)に建てられたもので、雲洞庵最古の建物です。宝形屋根、銅板葺、外壁は柱のみの吹き放し。往時の梵鐘は太平洋戦争末期に供出し、昭和33年(1958)に改めて鋳造されました。

経蔵経蔵
・経蔵は土蔵2階建て、切妻、桟瓦葺き、平入、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え。内部には大事な御経が収められています。
雲洞庵
雲洞庵【雲洞庵・概要】−金城山雲洞庵(新潟県南魚沼市)は奈良時代に先妣尼(藤原房前が母親)が草庵を結んだ事を前身としています。先妣尼が亡くなると藤原房前により菩提が弔らわれ、養老元年(717)に本尊として薬師如来像を勧請して雲洞庵が開かれました。室町時代の応永27年(1420)に関東管領上杉憲実が耕雲寺(新潟県村上市)から顕窓慶字を招いて中興開山し、関東管領家の菩提寺として整備、出家した際は「雲洞庵長棟高岩」と名乗っています。その後は一大修行道場として発展し、耕雲寺、種月寺(新潟市)慈光寺(五泉市)と共に越後曹洞宗の四大道場の一つに数えられ10万石の格式を得ています。戦国時代には名僧として知られた北高全祝を輩出し、北高全祝が武田信玄に招かれ龍雲寺(長野県佐久市)を開山すると「雲洞庵の赤門、龍雲寺の黒門」と詠われ当時の繁栄が伺えます。上杉景勝と上杉家執政の直江兼続が幼少時に学問を学んでいた事から、両者が上杉家を掌握すると禁制を発布して雲洞庵の保護に努めています。赤門から本堂までの参道の石畳の下には法華経の一字を書いた石を敷き詰めていた事から石畳みを歩いただけで御利益があるとし「雲洞庵の土踏んだか」と詠われ民衆からも信仰の対象となりました(雲洞庵で修行しなければ一人前の禅の僧侶にはなれない、という意味という説もあります)。現在でも数多くの寺宝を所有し展示保管されています。
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